Credo3

医師Mさんコメントありがとうございます。バランススコアカードの実際をまた教えてください。

さて"We are ladies and gentlemen serving ladies and gentlemen"に関してメールでコメントをもらいました。
O先生からは、亀田総合病院のミッションは「我々は、全ての人々の幸福に貢献するために愛の心をもって常に最高水準の医療を提供することを使命とする」だそうです。
そしてO先生の上記英文の翻訳としては「お客様は、私たちの鏡です。お客様がすばらしければ、それは私たちがすばらしいのです。ますます素敵なお客様を迎えるため、ますます素敵な私たちになりましょう。」が良いのではないかとご提案をいただきました。

別の友人からは、大変に大事なポイントを指摘されました。「リッツカールトンだからladies and gentleman相手でよいでしょう。そして開業されたり、独立して仕事をしている人は、実際に自分に関わってくるからこの心構えで良いでしょう。勤務医であっても当然同様な心構えを持っているが、日本の保険診療で過重な勤務医の負担の状況で、精神論が先行したサービスの要求を病院トップがしても、すべての患者さんが全員ladies and gentlemenであるとは思えるようにはならない。」ということです。
ここからは
1.病院のホスピタリティはホテルのホスピタリティと同じで良いのか?
2.ホスピタリティは精神論だけでなくシステム作りではないか?
という2つの疑問が浮かんでくると思います。

医療機関のホスピタリティを考える前にホスピタリティの語源を考えましょう。

姜信子先生の東アジア文化論(熊本学園大学)から一部を引用します。
http://www.asahi-net.or.jp/~fw7s-kn/2004_11.html
です。

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「歓待」を意味する英語Hospitality(ホスピタリティ)の語源は、ラテン語でhospes。「異人」、「客人」を意味します。そして、hospesの類義語であるhostisは「異人」、「敵」を意味します。そう、わが社会、わが家の門を叩いた未知の旅人(=異人/まれびと)は、神か悪魔か正体不明の脅威(敵)かもしれない、でも、それだからこそ歓待すべき客人となる。歓待は異人がもたらす脅威を幸いへと変え、わが社会、わが家にとりこんでいく。そういう発想が、Hospitalityという言葉にも刻印されている。それは、正体不明の未知の存在を、「敵」として排除することではなく、「客人」として受け容れることによって、社会をより豊かに、異郷をゆく旅路をより安全にしていくもの。

私たちは、このような「歓待」の風景をギリシャ叙事詩だけでなく、砂漠の民ベドウィンにも、草原の遊牧民にも見いだすことができる。私がカザフスタンで出会ったチェチェン人(彼らもまた本来はコーカサスの険しい山岳地帯で、国家を持たずに部族社会を形作っていた人々です)もまた、「歓待」の慣習を持っている。「国家」という思考と形式を取らない社会において、「歓待」という考え方(知恵)が、旅人という「他者」であり「異人」であり「神」かもしれない存在と向き合い、関係を作っていく一つのあり方として広く共有されていたものであったことをうかがい知ることができます。

そして、日本でも、「異人」としての「旅人」を「歓待」する風景を私たちは見いだすことができる。それは、たとえば、八重山のさまざまな伝統的な神事の中に、はっきりと、その神事の核心とでも言うべき形で立ちあらわれてくるのです。

石垣島・川平の「まゆんがなし」の記録映像を見る)。

「まゆんがなし」とは、年に一度、川平を訪れる来訪神です。集落の各家を訪れ、その家の豊穣と幸いを祈るカンフツ(神口:神の言葉)を唱え、もてなしを受けて帰っていく。それは、遥か昔、ひとりの旅人が集落を訪ねてきたときに一軒だけ、宿を乞うたその旅人を受け容れた家があり、実は神であった旅人がその家に幸をもたらしたという故事に基づいた神事です。

この「まゆんがなし」という『まれびと/旅人/異人/来訪神』をめぐる神事は、日本の民俗学にとって大きな意味合いを持つことになりました。民俗学者折口信夫は、この『まれびと/旅人/異人/来訪神』をめぐる神事に、日本の文学・芸能のはじまりの具体的なイメージを大いにかきたてられた。

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ならず者たちの巣窟となっていた故郷のわが家に、浮浪者を装って帰ってきたオデュッセウスをめぐる人々の反応の中にあります。

「アンティノオスよ、憐れな浮浪者を撃つとは怪しからぬことだ。もしこの者が上天から降ってこられた神であったら、そなたの身は破滅だぞ。実際、神々は遠方からの異国人に身を変え、いかなる姿にもなって、人間の無法な振舞い、正義の行いに目を光らせつつ、町々を巡られるものなのだ」
(『オデュッセイア』第十七歌 477〜487行)

神であるかもしれない異形の旅人、「異人/まれびと」がいる。そして、ある社会が、その社会にとっての異人と向き合い、関係を作っていく方法であり、知恵であり、思想ともいいうる「歓待」の精神。それが『オデュッセイア』の中にある。

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Wikipediaより引用します。

Xenia (Greek ξενία, xenía) is the Greek concept of hospitality and guest-host relations.

While the term Xenia is primarily ancient Greek, even today the Greek people are noted for their hospitality. The Greek god Zeus was sometimes referred to as Zeus Xenios meaning he was god of, among other things, travellers. This created a particular religious obligation to be hospitable to travellers, but guests also had responsibilities, beyond reciprocating hospitiality.

It should be noted that the Trojan war described in the Iliad of Homer actually resulted from a violation of xenia. Paris was a guest of Menelaus but seriously trangressed the bounds of xenia by abducting his host's wife, Helen. Therefore the Achaeans were required by duty to Zeus to avenge this transgression (which as a violation of xenia was an insult to Zeus's authority) resulting in the war.

Xenia consists of three basic rules. The respect from host to guest, the respect from guest to host, and the parting gift from host to guest. The host must be hospitable to the guest and provide him with food and drink. It is not polite to ask questions until the guest has sated his desire. The guest must be courteous to his host and not be a burden. The parting gift is to show the host's honor at receiving the guest. This was especially important in the ancient times when men thought gods mingled amongst them. If you had played host to a deity (a concept known as theoxenia), and performed poorly, you would incur the wrath of a god. For example in Ovid's Metamorphoses, Mercury and Jupiter are travelling and are turned away by all but Baucis; or in the Odyssey Antinous insults Odysseus who is disguised as a beggar, but is rebuked by the other suitors because 'he could be a god' and therefore mistreating him might result in a serious rebuke.

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医療関係者なら、いつも患者・顧客に向き合う時に、いつもどんな「異人・疾患」がかくれているのかという疑問感じているはずです。